大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

和歌山地方裁判所田辺支部 昭和43年(ヨ)3号 判決 1968年7月20日

申請人 株式会社むさ志

右代表者代表取締役 文岡ミサヲ

右訴訟代理人弁護士 植田完治

同 上田潤二郎

被申請人 株式会社白良荘

右代表者代表取締役 萩原吉太郎

右訴訟代理人弁護士 長野潔

同 松浦登志雄

同 長野法夫

主文

本件仮処分申請を却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、申請人が和歌山県西牟婁郡白浜町で「むさ志」の名称で旅館業を営んでいること、被申請人が申請人旅館と公道を隔てた西南側にして、白良浜との間に存する本件敷地およびその地上の一部に本造かわら葺三階建の旧建物を所有し、従来右建物で「白良荘」なる名称で旅館業を営んでいたこと、申請人および被申請人旅館の所在地附近は白浜温泉街と称される関西地方屈指の温泉地、観光地であり、前記白良浜の自然美は広く世に知られていること、被申請人は昭和四三年一月一〇日ごろから右旧建物の撤去を開始し、その後、同年一二月完成を目標に本件敷地および一部旧町道上に別紙図面どおりの配置による鉄筋コンクリート六階建、屋上一、二階を有する本件新築旅館の建築工事に着手したこと、以上の事実は当事者間に争いなく、≪証拠省略≫によると、前記申請人旅館の建物は別紙目録(二)記載のとおりの規模、構造を有し、それらはいずれも申請人の所有に属することが一応認められる。

そして、≪証拠省略≫を綜合すると、申請人は昭和二六年ごろ現在地にあった木造二階建の建物を買い取り旅館営業を始め、昭和三〇年ごろから同四一年まで数次の増改築をして、客室合計約一七〇室、その他広間、宴会場等十数室を有する現在の申請人旅館に発展したもので、その敷地も申請人の所有であること、申請人旅館の当初の建物は、被申請人の三階建旧建物にさえぎられて客室から白良浜方面を眺望することはほとんどできなかったこと、しかし申請人が昭和三六年に五階建第二別館、同三八年に一〇階建新本館、同四一年に九階建第三別館を増築したことにより、右三棟の四階以上の客室のうち西南に面する約二一室と宴会場廊下などから被申請人の旧建物(高さ約一四米)の屋根越しに白良浜、海ならびに対岸の湯崎方面を眺望しうるようになっていたが、被申請人の本件新築建物が完成すると、そのうち十数室の客室や宴会場廊下からの白良浜、湯崎方面の前記眺望が全部または一部妨げられるに至ること、申請人旅館の各棟の二階から八階までの客室のうち約三〇室はほぼ南方に面していて、白良浜の一部や湯崎方面の眺望が可能であり、本件新築建物が完成しても、白良浜の一部に対する視野が僅かに狭められるにとどまるので、以上の客室に関する限り申請人の営業に及ぼす不利益は軽微なものと考えられること、なお申請人旅館、被申請人が建築中の建物および白良浜の位置関係は別紙図面(「むさ志」と表示した部分は申請人旅館、「白良荘グランドホテル」と表示した部分にあるのは被申請人が建築中の建物を示す)のとおりであることが一応認められ(る。)≪証拠判断省略≫

二、そこで、以下申請人主張の被保全権利の有無について判断する。

(一)  まず、申請人は、被申請人は日本旅行会との間で締結した申請人を受益者とする第三者のためにする契約に基づき申請人旅館の前記眺望を妨げない債務を負担すると主張し、≪証拠省略≫は右主張に副う旨の供述をするが、右各供述は後記≪証拠省略≫に対比して、にわかに措信できない。すなわち、≪証拠省略≫を綜合すると、昭和三八年ごろ、日本旅行会の専務取締役南新太郎は、当時被申請人の全株式を所有し、その実際上の経営者であった申請外金谷清太郎ほか一名から右株式の売却(実質上は本件旧建物および敷地の売却)先のあっせんを依頼され申請人を打診したが、申請人は買受資金の都合でこれに応じなかったため、北炭観光に問い合わせたところ、これを買受ける意向を示したので、右金谷清太郎らに同社を紹介したこと、しかし、同人はその後において右売買には何ら関与することなく、金谷らと北炭観光との直接交渉により前記株式の売買契約が締結されたこと(北炭観光がその際、被申請人の全株式を取得したことは当事者間に争いない。)が一応認められるのであって、他に申請人主張のごとき契約の存在を認むべき疎明はない。したがって、申請人のこの点に関する主張はその余の点を判断するまでもなく失当というべきである。

(二)  つぎに、申請人は申請人旅館の建物所有権および占有権に包摂されるいわゆる眺望権に基づいて被申請人に対し本件新築工事の差止めを請求できる旨主張するので、この点について判断することとする。

1  白良浜海岸の自然美が広く世に知られていることは前記のとおりで、その景観は数多い白浜温泉地域の景勝地のうちでも最も勝れたものの一つであることは当地方において公知の事実であるところ、≪証拠省略≫を綜合すると、申請人はその旅館の客室等から白良浜、湯崎方面を前記認定のように眺望できることを顧客誘致のための有力な宣伝材料として利用していること、申請人旅館においては、右眺望可能の客室はいわゆる“良い部屋”であって、室料もそれ以外の部屋に比し高額であることが一応認められる。

しかして、以上のような状態のもとにあって、前記認定のように西南に面する十数室と宴会場廊下などからの右白良浜方面に対する眺望が阻害されることになると、単に右眺望不能となった客室の室料低下をまねくだけでなく、申請人旅館全体の魅力が減少し、その経営上打撃を受けるであろうことは申請人代表者本人尋問の結果によりこれを一応認めることができる。

2  ところで、申請人は、被申請人の本件新築工事による右眺望阻害は生活利益の侵害として、いわゆる生活妨害による侵害救済と同一の法理により律すべきものであるかのごとき主張をする。

しかし、右法理は本来万人が等しく享受すべき平隠で、健康、快適な生活が積極的(騒音、振動、煤煙等)または消極的(日照、通風等)に侵害された場合にこれに対処するためのものであって、多分に個人の人格権、生存権にかかわるものであるところ、本件はこれと異なり、風光の優れた特定の場所を眺望できる客室を設け、これを有力な宣伝材料に使って旅館営業をしている場合に、隣地に同じ目的で旅館を建築しようとする同業者が現れたため、前者の右眺望が妨げられその営業収益が低下する虞が生じたので、これを防ぐため隣地の建築工事を差止めあるいは損害賠償の請求をなしうるかという問題に帰するのであって、純粋に財産上の利害にかかわる紛争であるから、いわゆる生活妨害に関する紛争とは異なる見地からこれを検討すべきである。

3  また申請人は、申請人旅館からの白良浜等に対する前記認定の眺望は、申請人旅館建物の所有権および占有権に含まれた一種の権能として存在すると主張するのであるが、右主張は独自の見解であって採用できず、むしろ申請人は、右眺望を自己の営業に利用しているにとどまるもので、排他的にこれを利用する権能を有するものとは解し難い。しかしながら、かかる眺望をとりいれ、これを重視した旅館営業がなされている場合に、隣地所有者が、その地上に前者の眺望を阻害するごとき建造物を設けたときは、それが前者の営業を妨害する意図でなされたときはもとより、かような意図がなくとも右眺望の阻害が隣地所有者の不相当な権利行使の結果生じたものであって、前者の受忍すべき限度(以下単に受忍限度という)を越える侵害であるとすれば、前者は、後者に対しこれ(営業上の利益の侵害)によって生じた損害賠償を求め、ときには侵害の排除(差止)を求めることも許されると解すべきである。そして、この場合に、受忍限度を越える侵害であるか否かは、前者が前記のごとき眺望を利用した営業期間の長短、眺望を阻害される程度、両者の環境、後者の建造物設置の方法やその目的等諸般の事情を考慮してこれを確定すべきである。

4  そこでこれらの諸点を検討するに、まず、被申請人が申請人の営業を妨害する意図ないしは申請人主張のごとき害意をもって本件新築工事に着手したことの疎明はない。そして被申請人が右工事に着手した経緯はつぎのとおりである。

≪証拠省略≫を綜合すると、前記のとおり被申請人の全株式は北炭観光が所有し、被申請人は実質上同社において経営しているものであるところ、同社は主として北海道方面においてホテル、旅館等を経営している会社であること、そして、右北炭観光が被申請人の全株式を取得するに至った理由は、同社の北海道方面のホテル等は冬期は観光客が激減して収益が減少するばかりでなく、従業員の人件費等の無駄も生ずるので、その期間中従業員を移動し他で就労させ冬期の増収を図るためホテル等経営に好適な温暖地を物色していたところ、本件敷地を適当と認めたことによること、北炭観光において右株式取得後も被申請人は旧建物で旅館営業を行っていたが、右旧建物は昭和四年ごろ建築された木造建物で老朽化して近代的設備に欠け、立地条件に恵まれながら収益は低下していたこと、そこで、北炭観光はかねてからの予定どおり右旧建物を撤去して本件敷地を効率的に使用すべく、本件新築工事を企図し、観光客数、附近の旅館の状況、建築費等を勘案して本件新築建物の規模、構造が企業採算上最も有利と判断してこれを決定したもので、申請人主張のように別紙図面赤斜線部分を三階建以下にし、その他の部分を九階建以上にすることは、建物自体の体裁としても、また従業員の労働能率の面でも著しく劣ることになるばかりでなく、工費その他の費用もはるかにかさむことになること、本件敷地には申請人旅館からの前記眺望を阻害しないように本件新築建物の位置を変える場所的な余裕はないこと、以上のような諸事実が一応認められる。

また、≪証拠省略≫によれば、本件新築建物の敷地の一部となっている旧公衆道路(町道)については、これを廃止したうえ被申請人所有の本件敷地の一部とを交換する旨の白浜町議会の議決およびその公示がなされていること、≪証拠省略≫によれば、本件新築建物は建築基準法による確認を得ていることがそれぞれ疎明される。

5  よって、進んで被申請人の本件新築工事の完成により生ずる申請人の前記眺望の阻害が、受忍限度を越える侵害であるか否かを考える。上記認定の諸事実に弁論の全趣旨を綜合すると、被申請人の旧建物撤去前に、申請人が建築した西南方向の眺望をとりいれた客室約二一室と廊下などは、いずれも昭和三六年から同四一年に亘って増築したもので、右眺望を自己の営業に利用してきた期間はさして長期におよぶものではないこと、しかも前記新築工事により右眺望を阻害される客室は右のうち十数室と宴会場の廊下などであるが、その割合は申請人旅館の一七〇の客室のほぼ一割にとどまり、特に、ほぼ南方の眺望をとりいれた約三〇室については僅かに視野が狭められるのみであって、その他の大半の客室は白良浜方面の眺望と無縁な設計であること、白浜温泉街は僅かな面積に旅館、民家その他の建物が櫛比し広濶な土地に恵まれていないので旅館営業に好適な土地は僅かであり、申請人はじめ冷暖房等の近代的設備をもつ旅館に伍して被申請人が本件敷地においてその営業収益を挙げるべく老朽化した旧建物を撤去して近代的設備を備えた本件新築建物の建築を企図したのは本件敷地の所有者として無理からぬことであること、白浜温泉附近には白良浜、湯崎方面の景観のほかにも景勝地に恵まれているので、同温泉の客は白良浜等の景観のほかこれらの景勝地の探勝あるいは温泉に魅かれて来遊するのであって、申請人が前記のように眺望を阻害されることによって受ける営業上の打撃は必ずしも致命的なものとは解されないこと、以上の諸事実からみて申請人旅館が前記工事によりその眺望を阻害されることは、申請人においてこれを受忍すべき限度を越えるものとは解されない。したがって、申請人は、前説示の理由により被申請人に対し前記眺望を阻害する前記工事の差止を求めることは許されないものというべきである。

三、以上述べたところにより、申請人の本件仮処分申請は、被保全権利を欠くものとして失当であるから、これを却下すべきである。

よって、申請費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 首藤武兵 裁判官 岡田春夫 尾方滋)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例